ヒロのひとりごと 2003年9月

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HIROTAP誕生奮闘記 その 24
 
一人目のときは、半年休ませてもらったので、すごく楽でした。まあ休んでも、ちょくちょくのぞきには、行ってましたけどね。
二人目の時は、破水するまでタップやっていて、「今から生んでくるから!」といってそのまま病院走っていって生んで5日後退院してその足でスタジオ入りしてタップやっていました。だから、二人目のときは、レッスンやすんでないんだ。とんでもないヤツでしょ!
まあ、踊ることはできないので、口ばっかでしたけどね。その当時は、まだ、任せれる人が育っていなくって、やるしかなかったんです。それに、1ヶ月後には、舞台が控えていたし、休んでいられなかったんです。
若さだねえー。だから58キロの体重も3ヶ月で元の38キロに戻っちゃいました。ふうせんみたい!
二人目の圭吾なんか、生まれて間もないうちから、スタジオに寝かせて、ガタガタいう振動の中で眠っていました。泣く声よりタップの音のほうが大きいから、子供も、自分を主張するのに、それ以上大きな声で泣かないと気が付いてもらえないので、元気そのものでしたよ。
おかげで、6ヶ月でハイハイ。7ヶ月で立って8ヶ月で歩いていました。仕方ないので、バーに紐でくくりつけてレッスンしてました。犬よりひどいよね。
続く・・・

2003.9.29

              ◆  ◆  ◆

HIROTAP誕生奮闘記 その23
 
もう23回も書いているんだね。自分でビックリするよ。またこれに付き合ってくれている人たちにも感謝します。
感謝・・・そうだね。「タップメイツのメンバー」のこと書くんでした。
結婚して9年目にしてやっと授かった子。おなかに抱えて10ヶ月タップやっていました。でも、これは、絶対まねしないでね。
妊婦さんにタップは、あまり進めません。だって上下運動激しいし、振動が強いです。おなかの赤ちゃんビックリして出てきちゃいますよ。
何年もやっていて、手の、いや足の抜き方をわかっている人なら、おなかの赤ちゃんと相談しながら、
続けてもいいと思います。初めての子だったので生んだらタップできるのか、とっても心配だったの。身体が動くだろうか・・・子供育てながら、仕事しながら、家庭のことやりながらタップ続けられるだろうか・・・すごく不安だったの。
そしたらね、メンバーが、「生んだら、まずはゆっくり休んで、落ち着いたらきてね。それまで私たちで何とかやっているから。いつまでも待っているよ!」そういってくれたの。
もう、なんて言って良いやら・・・私を待っていてくれる・・・
おかげで、私はゆっくり子供を生み、半年休ませてもらいました。もしタップメイツの人たちが、そういってくれなかったら、タップの火は消えていたかもしれない。私がこうやってタップを続けられるのも、私を応援してくれる人たちがいたからこそ続けられているんです。
本当にありがとう!みんな!
ところで、聞いてください!私を知っている人は、たいそうビックリすると思うけど、38キロのHIROちゃん、お産の時の体重、聞いて驚くな!なななんと58キロでっせ!20キロも太ったんです。二人めも全く一緒!ウエスト98センチ。生む寸前まで運転していたんですが、ハンドルにおなかがくっついてしまって、超危険状態で走り回っていました。身体は固定したままなので、首だけしか動かないので、車アッチコッチぶつけましたよ。こんなこと絶対まねしないでね。生む寸前まで、走り回っていたので、やはり生まれてきた子は、落ち着きの無い子が出来上がりました。第2子は、スタジオで破水するまで動き回っていたので、輪をかけて、とんでもない悪ガキができあがりました。ここで、これからママになるヤングままへ、HIROの一言アドバイス!おなかにいるときは、落ち着いて行動すべし!!経験にもとづく。

2003.9.27

              ◆  ◆  ◆

HIROTAP誕生奮闘記 その22
 
子育てしながら、内職しながら、嫁やりながら、TAPを続ける・・・今思うと「スーパーウーマン」そのものだよね。
若いってすごいよ。できちゃうんだから。今やれっていったって、多分体力的に無理だろうなー。
デモね、みんなすごいと思うかもしれないけど、一生懸命生きていると、誰かしら、助けてくれるんだ。
自分ひとりで生きているんじゃない。私の周りの人いつもいい人ばかり。
これは、神様が、私にくれた唯一のプレゼント。
どんなに、苦しくても、悲しくても、いつもその場に手を差し伸べてくれる人が、出てくるの。
信じられないくらい、私って、ラッキーガール!!(いや当時は)(今はラッキーおばさん)
いやな思いしたって、そのいやな思いを打ち消して、ふっ飛ばしてくれる、こんな人たちに、いっぱい出会ってきた。
これもTAPをやっているから。タップをやっていて、それが一番の宝物かな!今も・・・!!!
前に書いたけど、シート屋のおっちゃん、シートを快く置かしてくれた館長さん、公演の時全く知らない私にコンパネ貸してくれたモモヒキ爺さん。
まだまだここには書き入れない人たちに今も感謝感謝!!
そして次に書くのは、最初のタップメンバー「タップメイツ」に大感謝のお話!・・・続く

2003.9.24

              ◆  ◆  ◆

HIROTAP誕生奮闘記 その21
 
そんな状況の中、公共施設での活動は、制約がありすぎ、ナンカ練習に物足りなくなってきたんです。
昔は、タップやれるだけで、満足していたのに、人間って欲がでてくるんですな〜
時間、環境の面でどうも自分がやりたいタップに近づけない・・・
やりたいタップ?どんなタップの世界?わかんない・・・とにかく何か作りたい・・・
でもそれが何なのかわからない・・・でもここでは、ただの趣味で終わってしまいそう・・・
自分の中になんかモヤモヤがありそれを外に出したい・・・
どおうしたらいいんだろう・・・制約ありすぎのここでは、できないのは感じる。
じゃあ、自分でHIROをつくるしかないじゃん。抽象的な考えの中。、思ったら即実行のHIROちゃん。
場所探しに町中探索の旅が始まる。そして見つけました。レコードショップの2F!ここならうるさくても苦情は
避けられるだろう!後床にはシートとウッドカーペットを敷いてと・・・・
ヨッシャ!やれる!
そして、当時「タップメイツ」として練習をやってきたメンバーに事情を説明して、付いてきてくれる人を募ったところ、4人が来てくれることになった。
1990年1月4人でHIROタップダンスシティ細々と発足。
当時私は、第1子、文弥1歳半、育児中の現役ママでもありました。・・・続く

2003.9.23

              ◆  ◆  ◆

HIROTAP誕生奮闘記 そのS
 
身体を動かすことの快感をもう一度味わってしまった私・・・またもやスタジオ通いを始めることになるの。
でも、私の嫁いだ家は、趣味みたいなことで週に何回か行くことは、もってのほか!!と許されなかったの。
お金は使うし、自宅の周りを走っていればいい・・・こんな家だったんです。はっきり言って芸術ものには全く興味のない家だったので、理解はできないと思います。
だから自分が使うお月謝や、練習着、旅費、ダンスに必要なお金は自分で稼ぎました。
今もそうですが、TAPにかかるお金は一切家のお金は使いません。
家族に迷惑をかけない・・・これが家庭を持ちながら夢を追いかける人の原則ですね。
・・・といいながら、一杯迷惑かけていますが・・・・矛盾だらけの私・・・
内職やったり、薬屋の問屋に勤めたり・・・お稽古事はお金と時間がかかります。
両方無い私は、とにかく毎日が一生懸命でした。
ライバルは自分です。自分のやりたいことを続けたいなら、どんなことでも耐えられます。
それだけの意思を持って、自分の夢に突き進むことが大事!
そしたらどんな仕打ちされたって、ヘノカッパ!!
それでも、辛くて辛くてどうしようもなかったときは、思いっきりなけばいい。
でも、人前で泣いたら、自分に負けたことになる。問題その@
どうしようもなく、苦しくなったとき、HIROはどこでないたでしょうか?
答え→風呂の中・・・ひとりで泣けるし、お風呂から出ても泣いたのわかんないし。
玄関閉められて家に入れてもらえなかった事。家出して1週間帰らなかったこと・・・・
はははは・・・・いろいろでんな・・・続く

2003.9.21

              ◆  ◆  ◆

HIROTAP 誕生奮闘記 そのR
 
こうやって、玉野先生と知り合うことができ、私のタップ人生は、輪をかけて、熱が入ってきました。
私なんか、覚えの悪い劣等性の生徒でしたが、気持ちよく、見てくれ、これもうれしくて、ついていけた理由のひとつだったと思います。
だから、私も、なかなか習得できない生徒さんには、気持ちを察してあげようと言う「教える」という基本を身に着けたんです。
もし、自分が、すぐでき才能のアル人間だったら、できない人の気持ちを理解できないと思うの。
同じ人間でも、いろんな人がいる。でも「タップをやってみたい!」という気持はみんな同じ。その夢を私でできることならかなえさせてあげよう!私にもお役に立てれる人間でありたい。
こんな気持ちで、浜松では「タップメイツ」と言うグループで7年もの月日を愛する仲間と共に社会の目と戦いながらタップを続けたのです。
サア、ここでもうひとつ、お話しなければいけないことがあります。
私がタップを始めたのは、結婚してからの話。みんな独身だと思っていたんじゃない?
へへへへ・・・既婚者です。始めたころは、お舅さんもお姑さんもいた、お嫁さんです。
結婚するとき、「さあ!良妻賢母の良き嫁さんになるぞ!!」とはりきって、いままでやっていた、JAZZやバレエやらエアロやらをすべてやめたの。
ホホホホ!!!私は奥様じゃ〜。
なんちゃって、始まった新婚生活。でも新生活にもなかなかなれず、今まで汗一杯かいていた身体も干物状態。
急な環境変化で、拒食症に。今も、「骨皮筋代」と言われるのに、もっとすごく痩せちゃったの。
34キロを下回り、歩けない。お医者さんに言ったら、「急に身体を動かすことをやめ、環境の変化もあるんでしょう。とにかくもう一度汗を流しなさい」
その先生の言葉で、もう一度、ダンススタジオに行くことになったんです。
皆さん、一度汗を流すことを忘れたからだをもう一度、新陳代謝を良くし汗を流せれる体にする苦しさ、並大抵じゃああ〜りませんよ!
汗を出したくても、出ない。ということは体温調節ができないということ。毛穴が余分な汚れなどで詰まっている。身体が指令を出していても脳が汗をかくことの指令を出してくれない。そのため、身体と脳が一体化してくれず、とにかく吐くんです。はいてはいてはきまくるんです。苦しいけど、そこを乗り越えないと、体質は変わらない。ある日突然、下を向いたら、・・ポタッ! 汗だ!そう思った途端、顔面集中豪雨!ついに汗が出た。
身体は、一瞬にして、元に戻りました。
その時つくづく思いました。人間はやはり、汗をかかなければいけないんだ!汗と一緒に心のもやもやもの悪玉はでていってくれるんだ!冷や汗じゃあだめだよ!労働の疲れの汗もだめ!気持ちよく汗をかくことだね!
こうやって、またもとの身体に戻ったHIROは、夢に向かって突き進むのです。でもやはり結婚をしているということは、独身のように一人気ままには、動けませんよね!いろいろありました。ははははは・・・続く

2003.9.20

              ◆  ◆  ◆

★がんばれ!!花川幼稚園、小学校の子供たち!先生たち!
 
今日も暑い日差しの中、汗とほこりにまみれながら、音楽にあわせて、ダンスをする子供たち、そして声もかすれかけている先生方、体力と精神力の疲労が頂点に達している。
彼らは、国体のテニスのオープニングにダンスの表現で、全国の人たちを気持ちよく招きいれようと、今必死で練習を積み重ねている。
私は、ほんのちょっと、お手伝いに行っているだけなのに温室のような体育館、浜辺で日光欲したくなるような炎天下の中、「もやしHIRO」にとっては、魔のレッスンだ。
でも子供たち、先生方の熱意に負け、私も必死で応援。
 
団体プレイは、ダンスだけでなく心もひとつになって踊らないと統一性が見えなくなる。
花川のみんながんばれ!
今の社会「みんなで頑張る、一生懸命頑張る」ということが軽視するさびしい世の中になりつつある。
でも、とっても大事なこと。
人間一人では生きられない生物なんだ。
助け合いながら生きる生物なんだ。
一人一人の力は、小さいけど、たくさん集ると、それは何十倍ものパワーになる。
喜びも楽しみも、みんなで喜べば、爆発噴火山!
悲しいこと、つらいことをみんなで乗り切れば、ヘノカッパ!!
だからみんながんばれ!
みんなで頑張れば、いっぱいの幸せを多くの人に、分け与えることができる。
期待してるからね!

2003.9.17

              ◆  ◆  ◆

HIROTAP誕生奮闘記  そのQ
 
運命的な出会い!自分は、いったい何を求めているのか・・・
この出会いで、「HIRO」が固まりました。
それは、一枚のチラシ。「The  patchy  jacket 」
・・・オリジナル タップダンス ミュージカル・・・
わー日本人でタップミュージカル作る人がいるんだ!いつもブロードウェイからの輸入版ばかりだと思っていたのに!
よく見ると、脚本も構成も振り付けも全部一人の人がやっている。
まさに「オリジナル」だ!!日本人にそんなすごい人がいたんだ!
誰だと思いますか?皆さんの知っている方ですよ!
そう、今では、超ハードスケジュールをこなしています、超売れっ子エンターテイナー「玉野先生」です。このミュージカルには、今や、「座頭市」で出演、振り付けでおなじみのHIDEBOUさんも一緒に出演していました。
今では、玉野先生は、一流エンターティナーに、HIDEBOUさんは、ユニットを組み、新しいタップの世界を繰り広げています。二人ともタップを通して自分のオリジナリティを前面に押し出し、日本でもトップクラスで活躍なさっています。
その原点の「The  patchy  jacket  」・・・試行錯誤していた私HIROを、勇気付けてくれたのです。
自分の頭に描いた物を、白紙の上に自由に描いていいんだ!振り付け者が脚本書いてもいいんだ!!
自然に感じたまま、踊っていいんだ!!
なんか、すごくうれしくなっちゃったんです。
私がやりたかったことを、「玉野先生」は、実現させている。
もちろん玉野先生とは、何百分の一にもならない、私ですが、オリジナリティを追求する姿勢が私の心を動かしたんです。
このミュージカルを見終わって、私はすぐ行動を起こしました。
「玉野先生」の門をたたきに行ったんです!
ドンドンドンドン!!!!
「うるさーーい!!」・・・・とは言いませんでした。・・・続く

2003.9.15

              ◆  ◆  ◆

HIROTAP誕生奮闘記 そのP
 
まあ、世の中、TAPに関してはまだまだ理解の無い社会でしたが、私にとって一緒にTAPを楽しんでくれる仲間が少しでもできたことが、、トンネルから、光が見えたような感じでした。
誰も教えてくれない、目標にする人がいない。私はどんなタップが好きなんだろう?
自分でも思考錯誤でした。
だから、自分の好きな曲を選んで、身体が反応するまま動かし、リズムをたたいていました。
それが、今となっては、創作力をつける原点になったのかな・・・とも思います。
その当時は、私はすでに結婚もしていたので、家庭を持っている以上、「タップやりたいから、アメリカ行ってきます!」なんてこともいえないし、一人身の私の友達のダンサーたちは自由にレッスンして、力をつけていく・・・
私は、公民館で、おばちゃんたちと、仲良くタップ。どんどん離される・・・
TAPができるだけ良いじゃない!!・・・って自分に言い聞かせて・・・でも欲が出るんだな・・・
もっとうまくなりたい。もっと技術磨きたい!!って。
そんなある日、東京に出かける用事があり、ひょこっとよったチャッコットで、運命的なことに出会ったんです。・・続く

2003.9.14

              ◆  ◆  ◆

HIROTAP誕生奮闘記  そのO
 
「TAP」と言う映画・・・どんなに待ち望んだことか。チケットを握り締め、映画館の中へ。
まだ時間が早いので、誰も座っていない。私たち5人は、一番見やすい後ろの方の席を陣取ってパンフレットを片手に、タップの話で大盛り上がり。そのうち一組のアベックが会場に入ってきた。
来た来た!これからどんどんお客さんはいってくるぞ!!でも私たちは一番良い席だも〜ん。
満席だろうが、立ち見だろうが、かまやーしない!
ほらまたモウ一組のアベックが入ってきたぞ!来るぞ来るぞ!
来る来る来る来る・・・・来ない来ない来ない・・・・・・???
うっそー今日封切りなのに・・・
1ベルが鳴った。席はカンコドリが座っている。
二組のアベックと私たち5人。こんなに楽しみにしていたのは、私たちだけ?
もちろん私たち5人は、終了後も、映画の余韻に身を任せ、ボー。
私たち5人はまた1週間後に見にこよう!と約束した。が、約束は破られた!
私たち5人が破ったわけではない。映画館が破った。
1週間後にはすでに「タップ」の映画は、放映されていなかった。
1ヶ月がやるといったくせに!!プンプン
20年前のタップの認識なんてこんなもんだったんです。
・・・続く

2003.9.12

              ◆  ◆  ◆

HIROTAP誕生奮闘記 そのN
 
「61円」事件からやっとぬけだし、やっと書けます。
ここで当時の日本の?ん?もしかしたら地方のかな?TAP社会を物語るようなお話をしますね。
1980年 先日亡くなられた、グレゴリーハインズが、主役をつとめた、「TAP」という映画。皆さんこの映画を見なくてはTAPを語れない!!
人生をすべてTAPにささげる主人公マックス。一度は、タップダンサーとしてスポットを浴びながら、より大きな夢をつかもうとして、転落した男。服役中の彼の頭を過ぎるのは、独房に響き渡る水滴の音、路上で込み合う車や工事現場の音。彼にとってはすべてがリズム。
暗い過去を踏みににじるように、これからの自分の人生に対する不安をかき消そうとするように、彼の激情の爆発をタップで自分を表現する。ものすごい力強く、こうも人の心にある葛藤、苦悩を表現できるなんて・・・・また、グレゴリー以外にも永年のタップの巨匠たちが勢ぞろいで見れるのも、この「タップ」という映画はすごい!!
コンドス・ブラザーズとして銀幕のミュージカルで活躍した、STEVE CONDOS。アクロバテックなTAPを見せた、HAROLD NICHOLAS。「滑る技法」・・・スライドを生み出した、JIMMY SLYDE。「砂TAP」を生み出したSANDMAN SIMS。 デューク・エリントンオーケストラ専属タップダンサーBUNNY BRIGGS。 60年〜70年代TAPが衰退した時期でもタップの火をたやさなかった ARTHUR DUNCAN。そして 今年日本に大ブームを起こした、ノイズファンクのSAVION GLOVERが子役で出ている。このときも素敵なタップを披露している。そして同じくノイズファンクに紅一点で出演していた、SUZZANNE DOUGLAS
もグレゴリーの恋人役で出演して、タップを披露している。もっとすごいのは、今世紀最大のエンターテイメント、SAMMY DAVIS,JRが身震いするようなTAPを披露。
こんなすごい「TAP」という映画が、浜松で見れるんだよ!!もううれしくってうれしくって!!私たちメンバーは5人で心ウキウキ!とにかく一番良い場所を確保して、じっくり見なくては!!並んでいるかもしれないから、はやくに意気込んでイザ映画館へ!・・・あれれれ???・・・続く

2003.9.11

              ◆  ◆  ◆

 
☆あ〜〜電話代、払うのわすれた・・・の巻☆
 
ご無沙汰しました。「HIROのひとりごと」を楽しみにしているのに・・・・
あちこちで言われ、うれしい反面ちょっと恥ずかしいHIROちゃん、またもや、アホなことしてしまいました。
先週後半から、あれ??パソコンのメールの送受信ができない!
HIROのHPが見れない!!どうなってるんじゃ?
他の人に聞いたら見れるというし・・・
ヤフーからNTTからKDDIからアッチコッチ「あんたのところがトラぶっているんでしょ。
早く調べてよ!!『HIROのひとりごとが書けないよーー』」なんて、文句たらたら言ってたら・・・失礼しました。私のミスでした。
電話会社を7月から代えたのをすっかり忘れていて、通話料滞納のためとめられてしまいました。そんなことも知らずに、アッチコッチ「お客様苦情係」に文句たらたら言っているおばさんは誰じゃ?・・・HIROです
今日やっとHIROのHP見れました。
HIROの苦情に応対してくれた多くの皆さん、大変失礼いたしました。
それにしてもしょうがないHIROです
最初の月の請求額が「61円」
これを払わなかったため、この事件が発生!あ〜〜10円玉6個と1円玉1っ子の重みがぐーんののしかかる日々です。

2003.9.9

              ◆  ◆  ◆

HIROTAP誕生奮闘記 そのM
 
モモヒキじいさん、「一回だけ使うだけなのか?」
HIRO      「はい、そうです」
モモヒキじいさん、「その後板はどうするんじゃ?」
HIRO      「わかりません。その時考えます」
モモヒキじいさん、じっくり考えて、私の顔をじっと見て、「よし!わかった。貸してやろう。一回だけなんだろう。金はいらん。それにしてもどうやって、運ぶつもりかね?」
ありゃまあ、そんなこと、全く考えてなかった、浅はかなHIRO。困ったなあ、1枚づつ、軽自動車に乗せて何回も往復するっきゃないか!覚悟を決めたその時、モモヒキじいさんが、天使じいさんになっていた。
天使じいさん 「よし、わしに任せとけ!明日の朝までに現地に着けばいいんだろ。それで夕方回収に行けばすむことじゃないか。わしに任せとけ。」
全く知らない私の話を信じ、すべて無料で助けてくれると言う天使じいさん。
世の中には、こんなに「無」の状態ででも、人の心を信じ、人の助けを惜しまない人がいるんだ。
涙がとまらなかった。
私も天使ばあさんになれるよう、頑張ろうと思った。
おかげで、公演は無事終了。お客様にも出演者にも、JAZZの葉子先生にも、迷惑かけずにすんだ。
天使じいさんは、今では私のこころの中で「神じいさん」になり、生きる道しるべとなっている。・・・続く

2003.9.3

              ◆  ◆  ◆

HIROTAP誕生奮闘記 そのL
 
明日は、公演。でもキャンセルしなければいけないの???
ヤダヤダ絶対いやだ!私一人ならあきらめも付くけど、穴をあけることによって、どれほど多くの人に迷惑かけるか!
日も暮れてきて、あたりは夕焼け小焼け。
何を思ったのか、私は車に乗りホールのあたりいったいを、走りはじめました。
とにかくステージに敷くものを用意しなくっちゃ。何を敷けばいいんだろう。
そうだ!板だ。板を探そう。車はライトをつけ始め道路は車の長い光の帯が連なっている。
どこへ行けばあるんだろう。とにかくぐるぐる走り回った。でも今思うとどこを走ったのかさっぱりわからない。
ただ、頭の中は板板板・・・・どのくらい走ったんだろう。さっぱり覚えてない。ただ板板板・・・・
しばらくすると普通の家の庭先に大小の板が立てかけてあるのを発見。「これだ!!」
HIROは、全く知らない家に飛び込んでいったんだ。そこは、多分、材木屋だったんだと思う。
もう真っ暗で、外には誰もいない。家の中に明かりが見える。
「すいません。外に出ている板売っていただけませんか」
真夜中の突然の若い?(当時は若かった)女性の訪問。そして変なお願い。さぞかしビックリなさったことと思います。
一人の老紳士が、ももひき姿で現れた。
「何だ?今頃。」うっとうしそうに応対してくれた。
HIRO「どうしても明日までに板が10枚ほど必要なんです。どうか譲ってください。」
モモヒキじいさんは、私の話を聞いてくれました。どうして明日までにほしいのか・・・
それを聞いてくれたモモヒキじいさんは・・・・続く

2003.9.2

              ◆  ◆  ◆


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